刑事学 I 第14回 サイバー空間をめぐる脅威への対処

サイバー空間をめぐる脅威情勢と課題

サイバー犯罪の現状と実態

サイバー空間をめぐる脅威は年々深刻化しており、犯罪の形態も多岐にわたる。主な構成要素は以下の通りである:

  • サイバー犯罪の分類

    • 広義のサイバー犯罪

      1. 不正アクセス禁止法違反

      2. 刑法上の電磁的記録に係る犯罪(コンピュータ・電磁的記録を対象とした犯罪)

      3. インターネット利用犯罪(詐欺、わいせつ物頒布等)

    • 狭義のサイバー犯罪(サイバー攻撃)

      • 刑法第2編第19章の2における「不正指令電磁的記録に関する罪」(ウイルス作成・供用等)を指す。

  • 統計データ(警察庁調べ)

    • 検挙件数の推移

      • 平成25年(H25):8,1138,113 \text{件}

      • 令和4年(R4):12,36912,369 \text{件}

      • 令和7年(R7):15,10815,108 \text{件} (過去最高水準を更新継続中)

    • 相談件数の推移

      • 平成26年(H26)の 11.6万件11.6 \text{万件} から増加し、令和7年(R7)には 18.5万件18.5 \text{万件} となっている。対して刑法犯全体の認知件数は長期的な減少傾向にある中で、サイバー事案の相談・検挙は増加が顕著である。

フィッシング被害の深刻化

  • 用語の由来

    • 語源は「釣り(fishing)」であるが、手口が洗練(sophisticated)されていることから、「ph」を「fi」に置き換えて「Phishing」と綴られる。

  • 定義:実在する組織を騙り、ユーザー名、パスワード、アカウントID、ATM暗証番号、クレジットカード番号等の個人情報を詐取する行為。

  • 報告件数の急増

    • 2019年:55,78555,785 \text{件}

    • 2022年:968,832968,832 \text{件}

    • 2025年:2,454,3242,454,324 \text{件}

  • インターネットバンキング不正送金

    • 2021年以降増加傾向にあり、2025年の被害額は 104.0億円104.0 \text{億円} 、被害件数は 4,7474,747 \text{件} に達した。

ランサムウェア(Ransomware)の脅威

  • 定義:「Ransom(身代金)」と「Software」を組み合わせた造語。データを暗号化して利用不能にし、復元と引き換えに金銭を要求する。

  • 二重恐喝(Double Extortion):「対価を支払わなければデータを公開する」として、データの復旧だけでなく情報の暴露をも材料に脅迫を行う手口。

  • 実例

    • 2022年10月:大規模医療機関が被害を受け、緊急手術以外の全診療を停止。

    • 2023年7月:コンテナターミナル管理システムが被害。物流が一時停止。

  • 被害の傾向

    • 都道府県警察への報告件数は 100100 \text{件} 前後の高い水準で推移。

    • 被害企業の内訳は、中小企業が約6割226226 \text{件} 中、中小企業が 143143 \text{件} )を占める。

サイバーインテリジェンス(スパイ活動)

  • 概要:国家を背景とした主体が、政策・外交、先端技術、研究等の機密情報を電子的に窃取する活動。

  • 標的分野:情報通信、金融、航空、空港、鉄道、電力、ガス、政府・行政、医療、水道、物流、化学、クレジット、石油、港湾の 15分野

  • 主な手法

    • 標的型メール攻撃:実在の組織や人物を装い、業務連絡や勉強会の依頼を模したメールを送付する(私用メールも標的とされる)。

    • 脆弱性を悪用した攻撃:ゼロデイ攻撃や公開直後のバグを突く。MSP(マネージド・サービス・プロバイダ)やクラウドサービスが大規模攻撃の経路となる。

    • 海外拠点からの侵入:本社のセキュリティが強固でも、守りの弱い海外拠点を踏み台に本社システムへアクセスする手口。

特徴・課題とサイバーセキュリティ戦略

サイバー空間の特徴

  1. 匿名性:攻撃者の特定が困難。

  2. 広域性・国際性:場所を問わず瞬時に攻撃可能。複数国を跨ぐ犯罪が多い。

  3. 低コスト・同時多発:安価に大量かつ同時並行の攻撃が可能。

  4. エコシステムの存在:ダークウェブ等で攻撃ツールや盗まれた情報が売買される仕組みが存在する。

サイバーセキュリティ戦略の5つの基本原則

以下の「5つの原則」を堅持し、国が能動的に関与する方針を示している:

  1. 情報の自由な流通の確保

  2. 法の支配

  3. 開放性

  4. 自律性

  5. 多様な主体の連携

個人のリテラシー強化

情報セキュリティ対策の基本(IPA提唱)

  • ソフトウェアの更新:脆弱性を解消し、悪用リスクを低減する。

  • セキュリティソフトの利用:攻撃を検知・ブロックする。

  • パスワードの管理・認証強化:多要素認証(MFA)を有効にする。

  • 設定の見直し:初期設定の不備による悪用を回避する。

  • 脅威・手口の周知:手口を知り、偽サイトへの誘導に注意する。

警察・ボランティアの取り組み

  • サイバー防犯ボランティア

    • ID・パスワード管理やサポート詐欺対策の広報動画コンテストの実施。

    • SNS上の「闇バイト」投稿の検索・報告(茨城県警の事例など)。

  • 防犯アプリ「DigiPolice(デジポリス)」

    • 犯罪発生情報の公開捜査、マップ機能、痴漢撃退・防犯ブザー機能、サイバーセキュリティ情報の提供。

  • ターミナティング広告の活用

    • 「ホワイト案件」「高収入」等のキーワード検索者に対し、警鐘を鳴らす動画広告を配信(令和7年1月から本格展開、予算 4,600万円4,600 \text{万円} )。

組織のセキュリティ体制強化と多機関連携

組織的な対策の推進

  • 警察庁統一窓口:2024年から運用を開始し、サイバー事案の通報・相談を一元化。これにより統計に現れない「暗数」の顕在化を図る。

  • 現状の壁:依然として届出を行わない企業は約 56.3%(R7調査データ)56.3 \% \text{(R7調査データ)} にのぼり、レピュテーションリスク(評判被害)を恐れる傾向がある。

連携ネットワークの構築

  • Toyss(東京中小企業サイバーセキュリティ支援ネットワーク):警視庁、区市町村、商工会等が連携した中小企業支援。

  • JC3(一般財団法人日本サイバー犯罪対策センター):産業界、学術機関、警察が連携し、被害情報の集約・分析、最新トレーニングの実施、海外連携を行う産学官の中核。

  • サイバーテロ対策協議会:都道府県警と重要インフラ事業者が構成し、共同対処訓練を実施。

  • 経済安全保障への対応:大学や先端技術保有企業との「サイバーインテリジェンス情報共有ネットワーク」を通じた機密流出防止。

警察における体制強化と国際連携

組織改編と高度人材の登用

  • サイバー警察局・サイバー特別捜査部の設置:重大な事案に対して国が自ら捜査に乗り出す体制を構築。

  • 全国の専門要員:全サイバー部門の専従員は約 3,6003,600 \text{人} 、基本情報技術者相当の人材は約 53,40053,400 \text{人} (令和7年4月時点)。

  • サイバーレンジ:実事案の犯行手口を再現した仮想環境で、攻防演習を行う訓練施設。

国際共同捜査とパブリック・アトリビューション

  • 国際共同捜査の成功例:ユーロポール、FBI等との連携によるランサムウェアグループ「Lockbit」のインフラ閉鎖(Operation Cronos)。

  • パブリック・アトリビューション:攻撃の背後主体を特定し、公表することで外交的・抑止的な圧力をかける。

事業者規制や刑事法令の整備

迷惑メール対策と情報流通規制

  • 特定電子メール法(2002年制定、2008年改正):あらかじめ同意した者にのみ送信を認める「オプトイン方式」の導入。

  • 情報流通プラットフォーム対処法(旧プロバイダ責任制限法)

    • 2024年改正(令和7年4月1日施行)。

    • 一定規模以上のプラットフォームに対し、権利侵害情報の削除申し出窓口整備、原則 1414 \text{日} 以内の削除判断、専門員選任などを義務付け。

刑事実体法・手続法の整備

  • サイバー犯罪に関する条約(ブダペスト条約)への対応

    • 2012年11月に我が国で発効。ウイルスの作成・供用を処罰する「不正指令電磁的記録作成・取得等の罪」を新設。

    • 差押えの執行方法として、接続済みサーバ上のデータを複写して差し押さえる手続き等を整備。

  • 不正アクセス禁止法(1999年制定):識別符号(パスワード等)の不正取得・保管、入力を不正に要求する行為(フィッシング)の禁止。

サイバー安全保障分野での対処能力強化(能動的サイバー防御:ACD)

サイバー対処能力強化法の制定

  • 成立日:令和7年(R7)5月16日(5月23日公布)。

  • 背景:2024年のサイバー攻撃関連通信数は 6,862億パケット6,862 \text{億パケット} (13秒に1回の攻撃)に達し、巧妙化。これに対し従来の捜査(事後対応)だけでは限界がある。

  • 主な柱

    1. 官民連携の強化:基幹インフラ事業者への報告義務化と協議会設置。

    2. 通信情報の取得・分析:重大な攻撃認知のため、通信内容の本質(メール本文等)を除いた機械的情報(IPアドレス等)を分析。第三者機関「サイバー通信情報監理委員会」の承認を要する。

    3. 攻撃サーバの無害化:危害防止のため、不正プログラムの停止・消去等の措置を講じる。

警察官職務執行法の改正

  • 第6条の2(新設)

    • 「サイバー危害防止措置執行官」を指名。人の生命、身体、財産に重大な危害が及ぶ緊急時には、電磁的記録の消去などの危害防止措置を命じ、または自ら行うことができる。

  • 国際法上の論点

    • 国外サーバへの無害化措置は主権侵害の懸念があるが、「緊急状態(緊急避難)」の法理(国際違法行為の違法性阻却事由)を援用し、根本的利益を守るために制度化された。

質疑応答と議論

  • :「特異な事案が発生し、承認を得る時間がない場合はどうするか?」

  • :緊急時には事後の通知を条件に承認前の措置が可能であるが、適正性の確保のためサイバー通信情報監理委員会の厳格な審査が事後に行われる。

  • :「通信の秘密とACDのバランスをどう考えるか?」

  • :分析対象は機械的情報に限定し、コミュニケーションの本質的内容には踏み込まない選別処理を仕組みとして導入している。